Storyストーリー
小諸宿本陣と、善光寺宿の御本陳藤屋。北国街道のふたつの本陣から、新たな歴史がはじまります。
時は江戸期、安定政権による泰平の世。各地に街道や宿場が整備され、本陣は参勤交代の諸大名の休泊施設として、地方の繁栄を支えました。なかでも日本海と太平洋を結ぶ物流の大動脈・北国街道は、佐渡の金銀を江戸に運ぶ主要路として、また別名「善光寺街道」のとおり、参拝や物見遊山の庶民の道としても多くの旅人が往来。善光寺参りの表玄関・善光寺宿の本陳藤屋は、豪儀を極めた加賀藩の大名の常宿としても名を馳せ、東信濃屈指の商都としても発展した小諸宿の本陣は、宿場を取り仕切る問屋場も備える一大施設として隆盛を極めました。そしていま、往時に交流があったと伝わるこのふたつの本陣が、再びめぐり逢ったのです。不易流行の本質が育む、新しい歴史の幕開けです。
History of Komoro Honjin Omoya小諸本陣主屋の歴史
小諸城の城下町に宿場の機能が加わって発展した小諸宿。江戸初期に設けられた本陣は諸国の大名行列を迎え、多くの貴人が休泊しました。中期には寛保の大洪水によって問屋場の敷地内に移転。小諸宿のさらなる中心施設となり、繁栄を誇ったのです。しかし、明治期になると佐久市の寺に移築されて庫裏となり、再び小諸に戻ってきたのは平成7(1995)年。18世紀末から19世紀初頭の建築とされる建物は可能な限り忠実に再現され、格式高い屋敷が現在地に蘇りました。そして、令和5(2023)年11月、この建物に宿る歴史と風情を生かし、レストラン「KOMORO HONJIN OMOYA(小諸本陣主屋)」へとリニューアル。善光寺宿の御本陳藤屋「THE FUJIYA GOHONJIN」の手により、新たなときを刻みはじめました。
About Fujiya藤屋について
江戸時代には加賀百万石・前田家藩主が常宿とし、近代には有栖川宮や伊藤博文、福沢諭吉、渋沢栄一など、目の肥えた各界の著名人が好んで宿泊した国宝・善光寺門前の「御本陳藤屋」。大正期には、時代を反映するアールデコ様式の華麗な意匠と数奇屋造りが融合した和魂洋才の館へと再建され、人々の憧憬を集めました。
そして、大正ロマンが薫るモダンな佇まいはそのままに、2006年春、旅館業からレストラン、ウェディング業へと業種転換。不易流行の精神を大切に、「THE FUJIYA GOHONJIN」として生まれ変わったのです。「幸せなときを、もっと幸せに」。そのおもてなしの心は「KOMORO HONJIN OMOYA」にも受け継がれています。